TRF

小室哲哉「TRFはすぐ辞めるつもりだった」

1: 2015/05/22(金) 20:33:20.21 ID:???*.net
[※インタビュー途中より抜粋]
◆BOΦWYが解散しなかったら、相乗効果でもっとシーンが盛り上がっていた

――TMは彗星のごとく現れ一気に有名になった印象がありますが、実は「Get Wild」は
10枚目のシングル。デビューしてから3年間はヒットが出なかったわけですが、焦りや
不安はありましたか?

【小室】 僕はデビューしてすぐTMの活動と平行して、他のアーティストに
楽曲提供をしていたんですね。その活動がグループにフィードバックされたらいいなと
思ってやっていたんだけど、そのなかで1986年に渡辺美里さんの「My Revolution」が
ヒットしてくれたのが僕にとってはすごく大きくて。ああいう曲でちゃんと歌っていけば
いいんだって、ヒット曲作りのコツや方向性みたいなものが見えたというか。

それまではちょっと僕たち大丈夫かな?っていうのがあったけど(笑)、
あの曲で評価して頂いたことで、焦りや迷いみたいなものはなくなりました。

――とはいえ、当時は空前のバンドブームの時代。そのなかで小室サウンドの原点
といえるシンセサイザーを多用した音楽はかなり斬新でした。

【小室】 無機質なリズム感を定期的にずっと続けて短縮していく、いわゆるミニマルな
音楽は意外に気持ちいいっていうのをあの頃から感じていて。
それをバンド以外の形態でもできるんじゃないのってことを考えたのがTMなんです。

僕らがやる前にYMOがそういうエレクトロニックな音楽をやっていましたが、
YMOは生楽器の演奏もしっかりやってきているところが僕たちとは違っていた(笑)。
そういう意味ではコンピューターをメインにした形態っていうのは、
僕らが最初だったのかもしれないですね。

――渦中の小室さん自身は当時、どんな気持ちでした?

【小室】 自分たちを“芸能人”とは思っていなかったので、特に心境の変化はなかったです。
僕らはいわゆる芸能界っぽい体育会系でもないし、当時のバンドの人たちとは真逆な
感じというか。テレビには絶対出ない!ってこだわりもなかったし、話が上手じゃないと
いけないってこともなかったので、単に“音楽をやっている人”、つまりいちミュージシャン
っていう感覚ですかね。

ただ、僕らが売れた直後にBOΦWYが解散しちゃったのは残念だった。
彼らがいてくれたらもっと相乗効果でシーンが盛り上がっていたんじゃないかな。

◆“小室ブーム”の要因は、ユーロビートが日本人との相性が良かったから

――そして、TMがデビュー10年目で活動休止し、いよいよ小室ブームを生み出した
90年代に入るわけですが。プロデューサー業に本腰を入れたのはなぜだったんですか?

【小室】 気楽にやっていたTMの活動と違って、楽曲提供する作曲の仕事はシビアというか。
制約は多かったんですね。でも、その頃、ダンスミュージックのためにロンドンに
音楽留学をしまして。日本があまりにも世界の音楽シーンからかけ離れていると
実感したんですよ。

例えばUS、UKチャートで1位の曲でも日本だけほとんどの人が知らなかったりして、
それはあまりにももったいないなと。少しでもみんなにダンスミュージックっていうものを
教えてあげたいと思って、いわゆるユーロビートを、やってみようと思ったんです。
で、始めたのがTRFなんだけど、最初はダメだったらすぐ辞めるつもりだったんですよ。

>>2以降につづく]

・TM NETWORKとしてデビュー後、多数のヒット曲を送り出した小室哲哉
no title

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00000340-oric-ent
5月22日(金)8時40分

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DJ KOOが振り返るTRFの舞台裏、そして"小室哲哉という人物"

033105
1: 以下、DAW速報がお送りします 2015/03/30(月) 23:16:45.97 ID:???*.net
■小室哲哉との出会い「そばにいさせてもらった」

「小室さんとの出会いは、ベイサイドクラブのイベント。その頃お客さんも
巻き込まれる事件が起こって、夜の12時以降にディスコの営業ができなくなったんです。
それでDJが失業しだして、店舗も減ってきて、ブームもマハラジャみたいな風に変わっていきました。

でも僕はそんな風潮の中でもとにかくDJをやっていた。そしたら、ディスコ業界の横のつながりで
『今度イベントがあるんだけど、DJをやらないか』って声をかけられた。
それが小室さん主宰のイベントだったんです。

小室さんを紹介される前は、洋楽ばっかり聞いていたので、邦楽ってすごくポップスな
世界だろうっていうような認識でした。でも小室さんがレコーディングをしている最中に
あいさつに行ったら、小室さんはミニムーグっていうベースの音源をいじっていたんですよ。

邦楽のアーティストでもここまで掘り下げて音作りをするんだって、うれしい驚きを感じました。
コアな作業だって思ったことを小室さんはやっていて、すごく共通性があって、
さらにもっともっとコアな部分で長けてるところがあって、さらにどんどんいろんなものが出てくる。

毎日通って小室さんと会うたびに、新しい発見であるとか、自分の知らないことが
いっぱいありました。小室さんとは仲良くなったというより、本当にそばにいさせてもらった
という感じでした」

■多忙のあまりDJの現場から遠ざかってしまった

「ベイサイドのイベントはもともと小室さんのソロ活動の一環であって、
本格的にダンスミュージックをやるには、ロンドンで発祥したレイブイベント
(一夜限りの大規模な音楽イベント)をやろうって感じでした。でも本場のレイブは、
郊外のだだっ広いところの倉庫なんかで、DJがでっかい音出して、無機質で単純なビートだけで
皆がひとつになっているようなもの。

さすがにそれは日本じゃなじまないから、小室さんはダンサーとDJとボーカルを作って、
日本人が楽しめる要素を入れたんです。それがTRF結成のきっかけじゃないですかね。

だけど、曲を作り始めても、メンバー皆はそれが自分たちの曲とは思ってなかったと思います。
どこでどう話し合われていたのかはわからないけれど、連絡がきたから集まったって感覚だったので(笑)。

僕が初めて参加したのはファーストアルバムがなかば出来上がったときで、
『ラップできる?』って聞かれて、『ちょっとじゃあこれ入れてよ、こことここまで』って感じで
何曲か入れて。今思えば、出来上がる前に参加できてよかったなぁって思います。

(続きはURL)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150330-00010007-trendnewsn-ent&p=2

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