1: 2017/03/25(土) 14:42:53.65 _USER9
http://www.oricon.co.jp/news/2088059/full/
2017-03-25 08:40

「僕のことを知ってくれるきっかけが“尾崎豊の息子”でも、僕の歌でも、それはどっちでも良くて。僕にとっては、いかに知ってもらえるかが直近のゴールであり、必達点なんですよね」。
そう語るのは、故・尾崎豊さんという偉大な父親を持つアーティスト、尾崎裕哉。このほど、1st EP「LET FREEDOM RING」で、念願のCDデビューを果たした27歳だ。

2歳のときに父親と死別し、その後に渡米。帰国後はバンド活動を行いつつ、社会企業家を目指して慶応義塾大学に進学。
同大学院では、コンサートビジネスを研究した。一方、ラジオのパーソナリティを務め、CMにも出演するなど、徐々にメディアにも顔を見せるようになる。
昨年は、特番『音楽の日』(TBS系)や『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で堂々たるパフォーマンスを披露し、その存在感と父親似の歌声で魅了。
「反響をもらえたぶん、“僕の歌が誰に届くんだろう? 誰が観ているんだろう?”と、マイクの先にいる人のことを考えるようになってしまったとは思います。
意識するから、緊張はしやすくなるかも、という危惧はありました」。そういう意味では、「アーティストとしての自覚は前より増したのかな」と、自身の現在の状況を語った。

今作「LET FREEDOM RING」に収録されているのは、裕哉の持つ力強さと前向きさを打ち出した「サムデイ・スマイル」、父の年齢を超えたいまの自分の覚悟を綴った「27」、美しく儚げなラブソング「Stay by my Side」、
そして自分を存在させてくれた父と母に捧げる「始まりの街」の4曲。このような内容に、聴き手としてはどうしても父親の影を探ってしまうわけだが……。
あえてそれを一切感じさせないアプローチもできたのでは?と聞くと、裕哉からは次のような答えが返ってきた。

「僕の曲を聴いた方は、どこかに“尾崎豊的な部分”を見つけちゃうと思うんです。でも結局は、まず僕がいいと思わないといけないわけで、そこをクリアした曲をどう判断するのかは、聴いてくれた人たちの自由ですよね。
尾崎豊が好きなのか、尾崎裕哉が好きなのかは、それぞれが洋服のブランドを選ぶのと同じかな」。そう微笑む彼の目線は、あくまでフラット。
だが、「勝負するべきはライブと一緒。ライブは、目の前のお客さんを涙させることができるかどうかという、一対一の向き合いだと思うんです」と、一方ではとても強い信念を覗かせる。
中略
そんな彼に、若き日の尾崎豊さんのコメントが掲載された雑誌(オリコン 1985年2月1日号)を見せてみた。
当時、豊さんは「チャートインしたことを父親が喜んでいる」と語っていたが、もしいまもそばに豊さんがいたら、息子にどんな言葉をかけただろうか。
「生きていたら、けっこうやかましい感じの父親だったんだろうと思います(笑)。でも、応援はしてくれるんじゃないかな。僕が生まれたとき、『ミュージシャンにしたい』と、彼は言ってたので。
だから、僕がいま何かを伝えられるとしたら、『頑張ってます!』と言いたいし、『頑張れ!』って言ってくれるんじゃないかな。『俺がプロデュースする!』とか言い始めたりするかもしれない……(笑)」。
(続きはソースをご覧下さい)

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